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属和音〜主和音の奥深い世界 3

3. おさ丸君、サマラン君、おな爺?

 

    突然ですが、ここで私の大切な3人の友人を紹介します。おさ丸君、サマラン君、そして、おな爺です。おさ丸は少しおとなしいけれど、素直でいい奴です。サマランはたまに粗暴にもなりますが、自分が暴力的にならないようにいつも自制はしています。サマランの口癖は「収まらん、収まらん」です。颯爽としてかっこいい時も多いです。実はこの2人の仲はあまりよくありません。そこでおな爺は、喧嘩になりそうな2人の仲を取り持つような感じでしょうか。彼らの表情を、顔文字で表してみました。どなたかにイラストをお願いしたいところですが。しばらくの間、よろしくお付き合いください。

 

おさ丸  m(_ _)m

サマラン (@_@)

おな爺  (^_-)-☆

★★なお、これは解釈を単純化しようとするものではなく、逆に、音楽の「解釈」がいかに複雑で多様であるかを示す試みです。どうか最後までお読みいただければ。

<1>内省的な の例

内省的な音楽では、の和音でおさ丸がどのように扱われるか、という 1 つの例を見てみましょう。

「きよしこの夜」

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  この名曲は祈りの音楽です。1 つの特徴として、必ず I の和音を経て次の和音に進む(I-V-I-IV-I-IV-I-V-I- I  〜V-I)ことが挙げられます。この曲が常に心の内側を向いているとするならば、I を通ることが敬虔な祈りにつながるからでしょう。極端ともいえる内省的な I への感じ方を強いる音楽。ただし内省的である真の理由は、複合的なものです。ここは大事なところです。

 ・V や IV が次に進む時必ず I を通ること

    ・歌詞によって祈りが深められること

 ・I にメロディが到達する直前が、いつも下行音型になっていること。(他にも下行音形が散りばめられています。楽譜参照)

という、3点が同時に満たされているからと言えるでしょう。

 この場合、おさ丸が大活躍、といえますが、実際にはおな爺とタッグを組んでいます。え、内省的なのにおさ丸1人ではない?

 この曲の 4、6、8、10 小節の I の和音は、1 拍目頭(強拍)では止まらず、フレーズを2拍目(弱拍)で止めています。これを女性終止と言いますが、これらは強拍部分がおな爺、フレーズの止まる2拍目がおさ丸でしょうか。このように内省的とはいっても、むしろ歌として衰えないようにフレーズを膨らませる技が冴えます。最後の小節だけ、1 拍目でおさ丸。ついでに言うなら、6、8 小節目は 1 小節目と同じです。モチーフを揃えたものですが、そのお陰で5〜6、7〜8小節で寄せては返す波のように、I の和音が心の奥深くに押し寄せます。

例外!

この曲のV→ I の中ではただ 1 ヶ所盛り上がると考えることが出来、収まらないことも十分可能です。実際、ポピュラー感覚のアレンジのほとんどはここにドッペルドミナント(下記譜例参照)を使い、フェルマータに広大な空間を見いだします。でも逆に、だからこそここを敢えて主和音として収めてしまい、究極の祈りの音楽として演出することも可能だと思います。それが原曲の良さを表す最善の方法だと考える私は、相当偏屈だと認めざるを得ません。(^_^;)

 

譜例(和音記号を国際式に改めました)

2

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いずれにしても、最後の小節は完全な収まりが求められます。

 

<2>内省的ではない I の例

   全ての和音が I の和音を経て次に進んだとしても、それほど内省的にならない例もあります。

「​こぎつね」

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​「草競馬」(フォスター)

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【解説】

先に書いた

ア)ドミナントよりトニックの音量が弱く抑えられる。

イ)ドミナントとトニックがほぼ同じ音量で弾かれる。

ウ)ドミナントよりトニックが強く弾かれる。

のうち、ア)がおさ丸m(_ _)m、イ)がおな爺(^_-)-☆、ウ)がサマラン(@_@)になります。

ここで取り上げた2曲の場合、曲のスタイルから見て、 I の和音におさ丸 (訳: 収まる)ことを拒否しているところがありそうです。(ただし「ここはサマランで」という限定は、必然性がない限り極力控えます。サマランは、間違った解釈の中で行われた場合、聴く人が拒否反応を示すことが多いからです。)

こぎつね

  4小節と6小節目の I は、IV の次に来ますが、ここの解釈は、おさ丸とおな爺です。解釈は難しいですね。確かに、おさ丸だと気品はありますが、おな爺だと元気が出ると感じるかもしれません。その上、先の「大きな古時計」もそうですが、歌詞があるとおさ丸になりにくい嫌いがあります。

7小節目以降はおな爺でしょうか。フレーズの途中は強拍の倚音も伴って勢いがあるし、10小節目は勢い余って電車が「車止め」に乗り上げたようです。その楽想を読み取れば、とてもおさ丸君の出番はなさそうですよ。

 

草競馬

 3、4小節目の変わったリズムは騎手が鞭打つ音でしょう。9〜12小節も含めて、景気づけの楽想が散りばめられているので、どこの主和音もおさ丸君に収まることは無理があるでしょう。といって全てサマランでもあり得ない。うーん、全ておな爺ですか…、案外隠し味で「おさ丸」もいるかも知れないですぞ!

 

他にも踊り系の曲(ワルツなど)は運動性豊かなイメージを生かしてあげると、相応しい解釈になりそうですね。

次の曲は

​「メリークリスマス」

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2回ある完全終止が2回とも「おさ丸君」では、無駄にお辞儀している感じが否めないですね。

また、譜例はないですが、よくご存知のハッピーバースデー・トゥ・ユーの場合、おさ丸では音楽がおとなしくなって、祝ってもらう方が不景気に感じるかもしれないですね(笑)。

 いずれにしても行儀が良すぎて覇気が無くなるのは、この場合ふさわしくないと言えるでしょう。

 さて、見てきたように、解釈は楽譜に直接書かれていない場合が多いものです。分析をしても解釈が判断できない場合、どうしたら良いのでしょう。

 1)いろいろな V → I を中心とする和音の在り方を知って「経験として積み上げて行く」こと。

 2)その在り方がどのような表現につながって行くかを、常に考える「習慣を持つ」こと。

この2つの段階を常に慣例化することで、音楽力を格段に上げましょう。

(なお、ここでは V → I にスポットを当てていますが、和声的解釈は他の和音とのからみで考えられるのは無論のことです、念のため。)

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